静けさの中に息づく明治の意匠
上野を抜けると、まるで時間が止まったかのような空間が広がっています。
「旧岩崎邸庭園」。明治を代表する近代洋館のひとつで、三菱財閥の創業家・岩崎家の本邸として1896年に建てられました。
洋館の内部に一歩足を踏み入れると、ふと視線が止まったのは壁面。
時代を超えて残る壁紙に、心を奪われました。中でも、壁面に施された「金唐革紙(きんからかわし)」は、単なる壁紙の枠を超えた“装飾芸術”として圧倒的な存在感を放っていました。展示室では、金唐革紙の復元作品が複数展示されており、その一枚一枚に当時の職人技と美意識が凝縮されていました。
壁紙が語る、室内空間の“美術品”

こちらは、明治の室内装飾を代表する「金唐革紙(きんからかわし)」。
和紙に金属箔を貼り、型押しをして革のような質感を出す技法で、まさに日本独自の工芸です。手仕事による立体的な模様が光を受けて表情を変える姿は、まさに“壁に飾られた美術品”そのもの。
当時の洋館建築における贅沢な装飾美のひとつとして、多くの空間に用いられていました。
空間ごとに異なる壁紙の表情

女性客のために設えられたこの部屋では、柔らかな色調と繊細な花模様が壁紙に用いられ、気品と温かさが漂います。装飾は過剰ではなく、あくまで空間の雰囲気に調和するよう控えめに。そんなバランスにも、当時の美意識が感じられます。

一方、書斎では落ち着いたトーンの壁紙が空間を引き締め、知的で重厚な空気を演出しています。
天井の装飾や家具とも呼応していて、部屋ごとの“物語性”が見えてきます。
復元と保存、文化財としての壁紙
現在目にする壁紙の一部は、創建当時のものではなく復元品です。
経年劣化により保存が難しくなった箇所は、当時の技法を再現したレプリカにより補修されています。
特に金唐革紙のような工芸的価値の高いものは、現代の職人技によってよみがえり、空間全体の趣を保っています。


金唐革紙とは ― 壁を飾る、和紙の芸術
「金唐革紙(きんからかわし)」とは、金箔や顔料を用いて和紙に加工を施した、装飾性の高い擬革紙(ぎかくし)の一種です。
その起源は17世紀後半、オランダからもたらされた「金唐革(きんからがわ)」と呼ばれる革製品にあります。日本ではこれを模して、和紙に油や漆、金属箔などを重ね、型押しによって立体的な模様を浮かび上がらせる技法が発展しました。
当初は袋物や小物の装飾に使われていましたが、明治時代に入ると、大判の擬革紙を壁紙として用いる新たな用途が登場します。
特に明治6年(1873年)のウィーン万国博覧会では「金革壁紙」として出品され、その繊細な技術と美しさが海外でも高い評価を受けました。
その後、「擬製金革」「横浜金唐革」などと呼ばれていたこの工芸は、昭和初期には「金唐革紙」という名称が定着します。
貿易や文化交流の象徴とも言えるこの装飾紙は、まさに明治のモダンデザインと職人技の結晶といえるでしょう。
現在では、伝統的な技法をもとに、職人・上田尚氏によって「金唐紙®」として復元・継承されています。
1. 草花と昆虫の共演 ―「草花と昆虫」

金箔で浮き彫りにされた草花と昆虫の姿が、まるで一幅の絵画のように空間に華やぎをもたらします。
細やかな葉の表現や蝶の羽ばたきは、型押しと手彩色の繊細さが際立つ部分です。背景のグリーンとの対比も絶妙で、落ち着いた品のある煌めきが感じられます。
2. 黒の中に光る詩情 ―「鳥とアイリス」

漆黒の地に、金色の鳥と植物が浮かび上がる一枚。
この作品は背景が暗いぶん、金の模様がより力強く際立ちます。中央には鳥が羽を休める姿が描かれ、その周囲をアイリスの花がやさしく取り巻いています。動と静が絶妙なバランスで共存する構図が印象的です。
3. 自然と豊穣をたたえる ―「田園風景」

こちらの壁紙は「田園風景」というタイトルにふさわしく、葡萄、とうもろこし、梨などの果実や植物が立体的に表現されています。
まるで農村の恵みをそのまま型にしたような、豊かさと親しみを感じさせるデザイン。背景の金地が光を反射し、壁面全体に温かみのある輝きを与えます。
4. 色彩の遊び心 ―「花唐草」

緑色のベースに、赤・金・紫といった多彩な色があしらわれた一枚。
「花唐草」という伝統的な文様が西洋風にアレンジされており、和と洋の美意識が交差する独特の雰囲気が漂います。花弁や葉の彩色に手作業のぬくもりが感じられ、まさに“装飾美”の真骨頂とも言える一作です。
5. 格調高い装飾構成 ―「花と曲線文様」

この作品では、花のモチーフに加えて曲線的な樹枝の文様が壁一面に広がります。
金の濃淡を駆使した深みのある仕上がりは、まるでバロック様式の天井画のような重厚感を感じさせます。旧岩崎邸の格式と品格を象徴するような一枚です。
おわりに:壁紙からひも解く、明治の美意識
旧岩崎邸庭園は、建築そのものの価値はもちろん、細部の装飾ひとつひとつに込められた意匠も見逃せません。
壁紙に目を向けてみると、空間が持つ奥行きや時代の息遣いがより深く感じられるはずです。
もし訪れる機会があれば、ぜひ“壁”の美しさにも目を向けてみてください。
きっと静かな感動が待っています。